加賀象嵌技法入門 象嵌技法をわかりやすく解説

第1回 材料の話 第2回 作業工程の話 第3回 表面処理と煮色着色の話


第1回  材料の話

社団法人日本工芸会正会員 村上 浩堂


象嵌とはどんなものでしょう?
一体、どんな材料や道具を使って、どのように作業(彫ったり、嵌めたり、着色したり)していくのか、お話していきたいと思います。


彫って嵌める


彫ったところに銀を嵌める
  象嵌とは、花瓶や香炉などの金属素地の表面を鏨(たがね)で彫って、出来た溝にその素地と違う金属(金、銀や銅合金等の線や板)を嵌め込むという、彫金技法の一つです。

  藩政時代は武士の世の中でしたので、主に刀の鍔(つば)などをはじめとする刀装具や、馬の鐙(あぶみ)等の金属表面に模様をつける加飾技法の一つとして用いられました。当時は金沢を中心としたあたりは、加賀の国だった訳ですから、加賀象嵌と呼ばれたのでしょう。

  勿論、彫金の名の通り、様々な種類の鏨で彫った溝によって、文様を現すことも出来るわけですが、それではあまり目立ちません。当時としては、コンプレッサーで吹き付け塗装するわけにもいかず、奈良の大仏さんのように鍍金(ときん)<メッキのこと>をするか、象嵌でもって金や銀を嵌め込むことによって、模様を表現し色を出そうとしたということです。

  今お話しているのは、金属工芸の中の象嵌ですが、広く言えば、金工の他、木工や焼き物にも象嵌技法は存在します。素材が違いますから、技法のすべてが同じと言うわけにはいきませんが、素地と違う色の同じ素材を嵌め込んであるという点では一致しています。また現代では、金属同士でなくても、例えば、金属に石など異素材のものを嵌め込むこともあり得えます。



象嵌する「もの」は?


象嵌朧銀花器「瓦町」
(村上浩堂作)
  さて、象嵌をするためには、それを施すための「もの」がなければ始まりません。これは、どうして作るのでしょうか?

  そもそも大本の金工(金属工芸)は、鋳金、鍛金、そして彫金の大きく三つに分類されます。鋳金とは鋳造、鋳物とも言い、金属の溶解性を利用して、金属を溶かして型に流し込んで作る技法です。そして鍛金とは、鍛造、打ち出しなどとも言い、金属の延展性を利用して、金属の板を金槌でたたいて絞り造型する技法です。また、鑞付(ろうづ)けで金属の板同士をはぎ合わせて、箱などを作ることもあります。彫金は、これらの技法で作った金属地に、模様を入れることを言います。(もちろん、模様を入れずに、鋳金・鍛金の「かたち」だけで見せても良いのですが、ものによっては、それではちょっと寂しいわけで…。)その入れ方として、様々な鏨を使って、金属の表面を彫ったり、魚々子(ななこ)と呼ばれる鏨で小さなつぶつぶの地紋をつけたり、金属を嵌め込む象嵌の他、いろいろな彫金技法があります。技法を組み合わせて使うこともあります。例えば、明治時代の花瓶などによくみられますが、花や葉っぱの部分を一旦象嵌してから、花びらのスジや葉脈の部分を彫って表現したりしています。また、表面装飾にとどまらず、装身具等の小物を作るのも、もちろん彫金の範疇に入ります。この場合、金属を溶かして指輪を作ったら、鋳造技法を用いた彫金の指輪ということになります。他に、鑢(やすり)で削ったり、糸鋸で透かしとったり、金工の場合、単一の技術・技法で完結することはほとんどありません。



「鋳物」と「打ち物」

 鋳金の「鋳物」と鍛金の「打ち物」とでは、象嵌を施すボディーとして限って考えると、用途によって限定される部分はありますが、一般的に言うと、鋳物は造型の自由度が高く、地の厚みもあるので、象嵌を二重に重ねあわせるようなことも問題なく出来ます。反面、板を加工する打ち物より重くなってしまいます。打ち物はその逆で、薄く軽く出来ますが、複雑な象嵌には向かないと言えるでしょう。歴史的に見れば、藩政時代もてはやされた加賀象嵌が、明治時代を迎え刀装具や鐙の需要が途絶え窮している時に、1877年(明治10年)「金沢銅器会社」が出来たことが一つの転機となりました。花瓶、香炉や置物など、文字道理「銅器」が用いられるようになったからです。この背景には、欧米の需要をにらみ、特大のボディーにこれでもかこれでもかの装飾をつくすためには、鋳物の方が相応しかったからでしょう。


打ち物によるボディー
獅子牡丹文香炉
(三代山川孝次作)

鋳物によるボディー
象眼朧銀八稜花器「煌めく糸」
(村上浩堂作)


第2回 作業工程の話