第 4 回

奥山 峰石 
重要無形文化財保持者
日本工芸会参与


プロフィール
昭和12年 山形県新庄市に生まれる
昭和59年 伝統工芸日本金工展文化庁長官賞受賞 他2回
平成元年 日本伝統工芸展高松宮記念賞受賞
平成7年 重要無形文化財保持者認定
平成9年 紫綬褒章受章 ほか多数

 鍛金の人間国宝奥山峰石さんの工房は、近くを都電が走る東京北区の下町にあります。

  住宅を兼ねたお宅の玄関を入ってすぐ右手の応接間には、壁面備え付けのショーケース棚に、奥山さんの作品が小さなギャラリーのように並びます。「作品を人に見せるたびに、桐箱から出してまた片付けるのがだんだん面倒になり、新築のついでにこんな部屋を作っちゃったんです」とのこと。本当は、前の住まいが手狭になったので、郊外への引っ越しをお考えになったそうなのですが、北区の名誉区民になられたこともあり、ここから移るに移れなくなったのだそうです。

  奥山さんが、金属に触れることとなったのは、昭和27年山形から東京への就職口が、たまたま鍛金屋だったということからです。当時の徒弟制度での仕事は、朝6時からの掃除に始まり、夕食後9時まで続く仕事で、休みは月二回。まだ若いその当時には、相当に辛いものだったようで、「いつ辞めようか、どうして辞めようか、そればっかり考えていた」という奥山さんですが、いざ、結婚独立する頃になって、この仕事しかやってきていなかったので、他の仕事が出来ない事に気付き、そのまま金工を続けることに。コンクールに出した作品が、金工作家 田中光輝さん(前号の工芸探訪でご紹介した田中正幸さんのお父様)の目に留まり、大きな展覧会への出品を勧められたのだとか。そして様々な苦労の末、平成7年晴れて鍛金の重要無形文化財保持者に認定されました。

  現在、奥山さんは趣味で鍛金を習いたい人のための教室を自宅工房で開かれていらっしゃいます。今後、奥山さんの流れを汲み、鍛金の底辺がどんどん広がって欲しいものです。
 


鋏・金槌・鑢類などの道具類


糸鋸で赤銅の板を透かすように
切り抜いたもの


銀インゴットから器の形ができるまで



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